坂本龍馬.com https://sakamotoryouma.com 坂本龍馬の群像を追いかけるサイト。幕末の英雄、坂本龍馬のゆかりの地や、名言、歴史について追っていきます。 Tue, 23 Nov 2021 13:39:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.7.11 https://sakamotoryouma.com/wp-content/uploads/2016/11/cropped-ec3a4891-s-32x32.gif 坂本龍馬.com https://sakamotoryouma.com 32 32 坂本龍馬のお墓・龍馬祭 https://sakamotoryouma.com/yukarinoti/kyoto/ryoumanohaka.html https://sakamotoryouma.com/yukarinoti/kyoto/ryoumanohaka.html#respond Tue, 23 Nov 2021 12:38:31 +0000 http://sakamotoryouma.com/?p=114 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓 清水寺、高台寺のほど近い場所にある”維新の道”と書かれた石碑のある急な参道を上ると坂本龍馬が眠る京都霊山護国神社にたどり着く。日本で唯一拝観料が取られるお墓。ここには龍馬 […]

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坂本龍馬・中岡慎太郎の墓

清水寺、高台寺のほど近い場所にある”維新の道”と書かれた石碑のある急な参道を上ると坂本龍馬が眠る京都霊山護国神社にたどり着く。日本で唯一拝観料が取られるお墓。ここには龍馬をはじめとする、木戸孝允、高杉晋作、池田屋事件の志士たちなど、維新で亡くなった人の墓石が多くならんでいる。

筆者は毎年のようにお墓参りに訪れているが、年々施設が豪華に建て替えられているのではないだろうか。
きっと龍馬も笑ってることであろう。

入り口からさらに階段を上がっていくと、そこには坂本龍馬と中岡慎太郎並び、そこの横に申し訳なさそうにそして藤吉のお墓が並んでいる。

坂本龍馬の墓石中岡慎太郎の墓石藤吉の墓石

ゴールデンウィークやお盆など、パラパラと人がきているが、オフシーズンになるとほとんど人はいないため、自分を見つめ直したい場所としてはおすすめできる。また、ここには龍馬と中岡慎太郎の像が設置されており、丸山公園の銅像の元となった小型のものだ。

龍馬・中岡像

お墓からの眺めもよく京都が一望できるので、ぜひ、龍馬ファンなら一度は訪れて欲しい。
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また、おすすめとしてはそのまま、円山公園の龍馬像を観察にいくのもおすすめ。

アクセス

住所:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
交通:市バス 東山安井下車徒歩10分  京都駅から市バス 202、207番のバスです。清水寺方面のバスに乗ればまず問題ありません。清水道ひと駅なので、清水寺からも歩いていける距離。
 
開演時間:9時~17時
休みなし

坂本龍馬祭について

坂本龍馬の命日である11月15日は毎年、坂本龍馬祭が開催されている。
毎年多くの龍馬ファン、中岡ファンが集まる日。

京都霊山護国神社の境内で朝からよさこい音頭が披露されていたり、龍馬の大好物で死ぬ直前も食べたがっていた軍鶏鍋も配られている。

この日に訪れてると坂本龍馬か中岡慎太郎の名刺がもらえ、熱狂的なファンは拝観料二人分払うのでどちらもくださいと交渉する人までも出てしまうほどだ。
坂本龍馬名刺 裏面坂本龍馬名刺 表面

墓前祭

16時になると墓前にてお祈りを捧げる会がはじまる。よさこいに興味が無い人は、これを最前列で参加するには、15時ぐらいに龍馬の墓にはいったほうがよいだろう。祈祷がはじまるのが、あくまで16時からだけであって、15時半には整列が始まってしまう。

ここで筆者の裏ワザをお教えしよう。

実は行列をなしているのは墓前祭後にファンが龍馬の墓にお参りする順番のだけなのである。墓前祭の様子をしっかりとみたいのであれば参列には加わらず、入り口を背にして左側の木戸孝允の墓を目指し、途中で右折すると、龍馬の墓の裏側にでるので、そこから見るのが絶好のスポットである。墓前祭が終わったら、列に並び直せばよい。決して割り込みではない。
毎年、うんちゃら坂本龍馬協会が増えているが、ぜひ神聖な雰囲気を味わいたい龍馬ファンの方は一度訪れてみる価値はあり。

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坂本龍馬の誕生日は? 命日と同じ日? https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/birthday.html https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/birthday.html#comments Tue, 23 Nov 2021 09:45:03 +0000 http://sakamotoryouma.com/?p=293 坂本龍馬の誕生日は? 命日と同じ日? 坂本龍馬の誕生日は、天保6年(1836年)11月15日とされており、命日は慶応3年(1867年)11月15日です。 11月15日は、誕生日でもあり、命日でもあるとされています。 現在 […]

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坂本龍馬の誕生日は? 命日と同じ日?

坂本龍馬の誕生日は、天保6年(1836年)11月15日とされており、命日は慶応3年(1867年)11月15日です。
11月15日は、誕生日でもあり、命日でもあるとされています。

現在でも毎年11月15日には、高知の誕生日の地では誕生祭、京都のお墓の前では供養の龍馬祭が行われています。
その際にろうそくに灯が灯されるのですが、実はどちらも同じ火が使われているのです! 
午前中に高知、夕方に京都に届きます。

同じ11月15日に生まれ、死を迎えるなんて、ちょっと運命を感じますよね。
さて、ここからはがっかりするお話です。

この説は正しくもあり、間違いでもあります。
また、実は龍馬の誕生日には諸説あるため、正しいとも言い切れません。

1,龍馬の誕生日を新暦に直すと…

11月15日というのはあくまで、旧暦の日付です。
龍馬が誕生日の天保6年11月15日は、1836年1月3日。
亡くった慶応3年11月15日は、1867年12月10日となります。

つまり、今の価値観に直してしまうと日付がずれてしまうのですね。

2、龍馬の誕生日は諸説ある!?

実は坂本龍馬の誕生日には諸説あります。
1、10月15日説
2、11月10日説
3、11月15日説

理由としては、現在のように戸籍を登録する制度がなく、
きちんとした記録が龍馬の出生記録が残っていません。

1,10月15日説

10月15日の記載があるのは、以下の書物です。

『汗血千里駒』(坂崎紫瀾:1883年(明治16年))
『阪本龍馬』(弘松宣枝:1896年(明治29年))
『勤王烈士伝』(萩原正太郎…1906年(明治39年))

2,11月10日説

『維新土佐勤王史』(瑞山会、坂崎紫瀾:大正元年)

3,11月15日説

『坂本龍馬』(千頭清臣:1914年(大正3年))
『千里駒後日譚』1899年(明治32年)11月4、5、7~10日

なぜ、11月15日となっているのでしょうか?

『汗血千里駒』、『維新土佐勤王史』で同じ著者、坂崎紫瀾が関わっています。
しかし、記載されている誕生日は同じではないため1と2の説は信憑性がありません。

『千里駒後日譚』(明治32年11月「土陽新聞」六回にわたり連載)でお龍は次のように語っています。
龍馬の生れた日ですか、天保六年の11月15日で、丁度斬られた月日(慶応3年11月15日)と一緒だと聞ひて居るのですが書物には10月とあります、
どちらが真だか分かりませぬ。

ここで挙げられている「書物」とは『汗血千里駒』か『阪本龍馬』を指すといわれています。
しかし先ほど述べたように、『汗血千里駒』、『維新土佐勤王史』の信憑性が欠けるのであれば、お龍の言う、十一月十五日がもっとも信憑性が高いのです。
また、「十月十五日」、「十一月十日」は文字が脱落した誤記、あるいは誤植の可能性もあるとはいえないでしょうか。
以上のことから私は11月15日であると考えられます。

なにより、同じ日生まれ、同じ日死んでいく・・・
それってステキなことじゃないですか?

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坂本龍馬の家紋は? 組あい角に桔梗紋! https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/kamonn.html https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/kamonn.html#comments Tue, 23 Nov 2021 03:41:52 +0000 http://sakamotoryouma.com/?p=254 坂本龍馬の家紋は組あい角に桔梗紋(くみあわせかくにききょうもん)です。 この家紋が坂本家で確認できるようになったのは、坂本家6代目兼才谷屋3代目の坂本八郎兵衛直益の死後13年後に作られた、妻のさわのお墓からです。坂本家は […]

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坂本龍馬の家紋は組あい角に桔梗紋(くみあわせかくにききょうもん)です。
この家紋が坂本家で確認できるようになったのは、坂本家6代目兼才谷屋3代目の坂本八郎兵衛直益の死後13年後に作られた、妻のさわのお墓からです。坂本家は直益のが郷士の株を買い、直益の長男・直海が才谷屋から分家して武家坂本家が生まれます。時期を考えると武家の坂本家ができたあたりからと考えるのが妥当でしょう。

坂本家家紋
それまでの直益までは丸に田紋を用いていました。
桔梗といえば、明智光秀が浮かびますが、坂本家でもそれにまつわるエピソードが残っています。

龍馬は明智光秀の血縁者?

明智光秀の家紋は坂本家と同じ桔梗も使用しています。それについて坂本家の始祖といわれている太郎五郎が残した言い伝えがありました。坂本家では口伝だったようで、光秀の従兄弟である近江国坂本主の明智左馬之助光春が落城した際に、長宗我部元親を頼り、土佐にくだったといわれています。光秀の居城の坂本城の地名から「坂本」という姓を取ったとされ、その際に生まれたのが、坂本太郎だったという伝説として伝えられました。これも龍馬の代でも話されていたようで、明治16年に坂崎紫瀾の「汗血千里駒」の小説でも語られています。

ですが、実際は坂本太郎は土佐藩才谷村に京都から移り住み。農業を営んでいたという説が濃厚です。

坂本龍馬の家紋のシールはこちら

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坂本龍馬と坂本竜馬の違い https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/ryoumatigai.html https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/ryoumatigai.html#respond Sat, 20 Mar 2021 13:01:06 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=461 りょうまの表記は「龍馬」と「竜馬」はどちらが正しいのか? 「竜」の字は常用漢字の新字で、「龍」は旧漢字になります。そのため、坂本龍馬が生きて時代には「龍」の字が正となります。龍馬自身も一度もこの文字を使ったことがありませ […]

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りょうまの表記は「龍馬」と「竜馬」はどちらが正しいのか?

「竜」の字は常用漢字の新字で、「龍」は旧漢字になります。そのため、坂本龍馬が生きて時代には「龍」の字が正となります。龍馬自身も一度もこの文字を使ったことがありません。

例えば父親が書いた龍馬宛の書類です。「龍」の字が使われているのがお分かりいただけましたでしょうか?

出版社や新聞社の校閲ルールによっては常用漢字を使うが必須になっているため、坂本竜馬と表記しているところもあるようです。

坂本龍馬記念館のこだわり

国立国会図書館のレファレンスのデータベースで「りょう」の字について以下のように回答しております。

Q:坂本龍馬の「龍」と「竜」の文字表記について。どちらが正しいのか。
A:
坂本龍馬記念館ホームページのQ&Aの回答によると、「りょうまの名前ですが、どちらの方が正しいと断定する事は坂本龍馬記念館という立場上難しいかもしれませんが、当館では以下のような考えに基づき展示等を行っています。「龍馬」と「竜馬」についてですが、龍馬自身は「竜」の字は一度も使ったことがありませんので、当館では「竜馬」という表記は絶対しないようにしています。

竜馬と表記する人について

これは筆者の勝手な憶測もありますが、坂本龍馬のファンは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に読んで好きになった人も多いです。そのため、そのまま「竜馬」と表記してしまう人も多いと推測しています。

ですが、司馬遼太郎は実は意図的に「竜馬」と表記しています。それについて、司馬遼太郎は、窪内隆起氏との会談で次のように語っています。

「なんで、略字の竜なのですか」と。僕ら高知の人間はずっと「龍馬」に慣れ親しんでいましたから。すると「僕は学者じゃなくて小説家だろ。この小説は僕の竜馬だし、自由な竜馬を書くんや」。さらに、「龍馬の方は平尾道雄先生をはじめとする方々にお任せすればええ」といわれました(週刊朝日「「週刊司馬遼太郎13」二〇〇六年四月二十一日)

というようりに小説の竜馬と史実の龍馬を使いわけたかったとことが伺えます。

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坂本龍馬とは? 何をした人? https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/sakamotoryouma.html https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/sakamotoryouma.html#respond Fri, 19 Mar 2021 13:01:23 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=425 坂本龍馬はどんな人? かんたんにいうと? 何をやった人なの 坂本龍馬は明治維新の立役者です。倒幕のきっかけのなった偉業を中心となって行っています。数ある革命の中で唯一、無血革命だったのが、明治維新。世界的に類似をみないこ […]

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坂本龍馬はどんな人? かんたんにいうと? 何をやった人なの

坂本龍馬は明治維新の立役者です。倒幕のきっかけのなった偉業を中心となって行っています。数ある革命の中で唯一、無血革命だったのが、明治維新。世界的に類似をみないこの革命の功績は彼なしではありませんでした。

幕府を倒せる力を持った藩の薩摩藩と長州藩の同盟をさせたり、戦争によって日本を弱体化させないために、幕府に権力を返させる大政奉還の案を土佐藩から出させたりと明治維新のための奔走をした人物です。

坂本龍馬の主な功績 凄さ

【1】日本初の商社 亀山社中の設立

亀山社中の跡
元治元年(1864年)までは勝海舟の元で海軍操練所の塾頭として学んでいましたが、池田屋の変に参加した生徒が参加していたため、解散されてしまいます。龍馬は脱藩したため、同時期に活躍した木戸孝允(桂小五郎)や西郷隆盛と違い、藩の後ろ盾もありません。

そんな中、龍馬は慶応元年(1865年)に薩摩藩や長崎の豪商、小曽根乾堂の援助を受け、亀山社中を設立します。船の回送や運輸業を行っており、日本初の商社ともいわれています。

名の由来は、亀山は地名、社中は、同じ目的を持つ人々で構成される仲間や組織を指すので、亀山にある組織といういたってシンプルな名前でした。のちに龍馬は土佐藩に脱藩を許され、土佐藩から援助を受ける形で海援隊と名を改めます。

【2】薩長同盟

薩長同盟は、慶応2年1月21日(1866年3月7日)に小松帯刀邸(現:京都市上京区)で締結されました。では、薩長同盟の何がすごいのでしょうか? まず当時幕府を倒せる勢力は薩摩藩と長州藩ぐらいしかありませんでした。しかし、この二つの藩は同じ倒幕を掲げながら、非常に仲が悪く、あの二つの藩が手を組めば、と誰しもが思っていても、実行に移されませんでした。一度、中岡慎太郎を仲介して、同盟を結ばせようと会談を試みますが、破断となってしまいます。そこで坂本龍馬は、海援隊を使って、薩摩藩から武器を仕入れ、長州藩に売る。長州藩からは米を仕入れて薩摩藩に売るという実利でお互いの因縁を緩和させて、無事薩長同盟が結ばれることとなりました。坂本家の本家は才谷屋といわれる商人の家計であり、龍馬は他の武士とは、感覚の違う視野を持っていたといわれています。龍馬がいなければ、この同盟は結ばれていなかったでしょう。

【3】日本初の新婚旅行

坂本龍馬の新婚旅行
慶応2年(1866年)、寺田屋事件で傷を負った坂本龍馬は、幕府から逃れるため、湯治療養も兼ねて、妻のおりょうとともに、霧島を訪れます。これが日本で最初の新婚旅行といわれてます。まだ江戸末期では夫婦で結婚後に旅行するという風習がなく、勝海舟から西洋では夫婦は結婚後、旅行にいくという風習があることを聞いており、西郷隆盛や小松帯刀のすすめにより、この地を訪れました。その様子はイラスト付きで姉の乙女に向けた手紙で残っています。龍馬の現存する手紙の中でもっとも長い手紙です。残念ながら2021年現在は霧島は火山の噴火が活発で危険のため、立ち入り禁止となっておりますが、湯治療養したといわれている温泉街は今でも入れます。

【4】船中八策


龍馬が起草させた公議政体論にもとづく国家構想が書かれている新政府綱領八策です。土佐藩の船、夕顔の中で記載されたため、船中八策と呼ばれています。

【5】大政奉還

幕末当時、薩摩、長州、土佐と三強と呼ばれていました。そんな中、同盟を結んだ薩摩藩と長州藩は武力による倒幕を考えはじめていたのを土佐藩は苦い顔で眺め、遅れてを取るまいと焦っている状況でした。

薩摩藩と長州藩は、関ヶ原の戦いで負けた豊臣側だったため、いわば徳川家には敵対する子孫であり、恩はありません。しかし、土佐藩の上層部の山内家は、徳川側であり、関ヶ原の戦いのちに土佐藩を与えられた恩がある立場のため、表立って武力倒幕には参加しにくい状況でした。

そのため、下士である坂本龍馬に助けを求めた、といわれています。龍馬はそこに眼をつけて、勝海舟や横井小楠からアイディアを受けていた大政奉還(幕府が朝廷に権力を返すこと)を土佐藩の後藤象二郎に提案します。

後藤象二郎から土佐藩の殿様であった山内容堂に伝えられ、最終的に徳川慶喜に提案されます。慶応3年10月14日(1867年11月9日)に大政奉還が行われました。

そのため、倒幕をする目的が薩長には失われてしまい、流血が少なくすんだといわれています。

坂本龍馬の本名

坂本龍馬の諱(いみな)は坂本直柔(なおなり)。武士は元服した際に諱がつけられますが、こちらが本名となります。龍馬は、「直陰(なおかげ)」でしたが、後に「直柔(なおなり)」に改名しています。諱は生前に口にすることをはばかる文化なので、通称の「龍馬」を名乗っているわけです。

坂本龍馬の家紋

坂本龍馬の家紋は桔梗紋で、組合角に囲まれているので、組あい角に桔梗紋といいます。
坂本龍馬の家紋は? 組あい角に桔梗紋!https://sakamotoryouma.com/kisotichiki/kamonn.html

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ふと四方を見渡して思うに世の中というものはかきがらばかりである https://sakamotoryouma.com/meigen/kakigara.html https://sakamotoryouma.com/meigen/kakigara.html#respond Mon, 07 Sep 2020 13:38:20 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=401 ふと四方を見渡して思うに世の中というものはかきがら計である。 人間と云うものは世の中のかきがらの中にすんでおるものであるわい、 おかしおかし 名言の意味 四方を見渡すと、世の中は牡蠣殻ばかり。多くの人は世の中の牡蠣がらの […]

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ふと四方を見渡して思うに世の中というものはかきがら計である。
人間と云うものは世の中のかきがらの中にすんでおるものであるわい、
おかしおかし

名言の意味

四方を見渡すと、世の中は牡蠣殻ばかり。多くの人は世の中の牡蠣がらの中に住んでいるものですな。
(視野がせまい世界でいきていることを皮肉っている)

解説

坂本乙女あて 慶応3(1867)年4月初旬。
この時期は龍馬は上士である後藤象二郎と手を組んだ時期です。上士からもちろん、仲間の郷士からも批判が殺到した時期です。理解者である姉の乙女からも理解が得られておらず、この手紙の後に批判的な内容を受け取っているほどです。そういった嘆きの想いがこの手紙にあらわれていると思われます。

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何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり https://sakamotoryouma.com/meigen/nanimokokorozasi.html https://sakamotoryouma.com/meigen/nanimokokorozasi.html#respond Sun, 03 May 2020 07:42:55 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=396 何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり 意味 何の目標もないまま、ぐずぐずして毎日過ごすのは実に大馬鹿ものです。 解説 坂本乙女、おやべあての 慶応元年(1965年)9月9日の手紙の中にある言葉で […]

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何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり

意味

何の目標もないまま、ぐずぐずして毎日過ごすのは実に大馬鹿ものです。

解説

坂本乙女、おやべあての 慶応元年(1965年)9月9日の手紙の中にある言葉です。薩長同盟に奔走していた頃の手紙になります。実はこの手紙でお龍を初めて紹介しており、その長さはなんと3メートル25センチものぼります。

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世に生を得るは事を成すにあり https://sakamotoryouma.com/meigen/yoniseiriwo.html https://sakamotoryouma.com/meigen/yoniseiriwo.html#respond Sat, 02 May 2020 13:20:04 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=394 世に生を得るは事を成すにあり 『竜馬がゆく』で坂本龍馬の名言として紹介されている言葉です。めちゃくちゃかっこいいですよね。いじめられっ子として育った「竜馬」が、この言葉の重みがまったく違います。読んでいて印象的な名言でし […]

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世に生を得るは事を成すにあり

『竜馬がゆく』で坂本龍馬の名言として紹介されている言葉です。めちゃくちゃかっこいいですよね。いじめられっ子として育った「竜馬」が、この言葉の重みがまったく違います。読んでいて印象的な名言でした。寺田屋の庭に飾られていますよね。

意味

人がこの世に生まれてくるのは何か偉業を成し遂げるためにある。といった意味です。

個人的には非常に好きな言葉です。この世に絶望している人や生きる意味を見失なっている人には、ぜひとも届けたい言葉ですね。

真偽について

残念ながらこの言葉は坂本龍馬の名言ではありません。 千頭清臣著の『坂本龍馬』の中で、龍馬が残したものとして紹介された「英将秘訣」に記載されています。残念ながらこちらは現在では、平田派の学者が書いたものという説が有力です。

原文

「世に生利を得るは事を成すにあり。人の跡を慕ひ、人の真似をする事勿れ。釈迦、孔子の類、唐土の世々の天子も皆しかる事をせり」
と「英将秘訣」には記載されています。

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義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり https://sakamotoryouma.com/meigen/giri.html https://sakamotoryouma.com/meigen/giri.html#respond Wed, 29 Apr 2020 14:00:34 +0000 https://sakamotoryouma.com/?p=387 義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり 意味 義理に期待するな、行動を縛られてしまうといった意味になります。 真偽について 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で紹介されている有名な言葉です。筆者も好きな名言の一つ […]

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義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり

意味

義理に期待するな、行動を縛られてしまうといった意味になります。

真偽について

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で紹介されている有名な言葉です。筆者も好きな名言の一つではあります。
最初に坂本龍馬の言葉として紹介されたのは、千頭清臣著の『坂本龍馬』の「英将秘訣」です。ですが、実はこの「英将秘訣」は近年の研究で坂本龍馬が書いたものではなく、平田派の学者と考える方説が有力となっております。
※『龍馬のすべて』1985年 高知新聞社発行 平尾道雄著

司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の執筆にあたりトラック1台分の資料を集めており、「坂本竜馬」として魅力を出すためにあえて龍馬の言葉として使ったのではないでしょうか。

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坂本龍馬の妻 お龍(おりょう)の墓 信楽寺 https://sakamotoryouma.com/yukarinoti/kanagawa/oryougrave.html https://sakamotoryouma.com/yukarinoti/kanagawa/oryougrave.html#comments Mon, 17 Sep 2018 14:28:11 +0000 http://sakamotoryouma.com/?p=329 おりょうのお墓について 坂本龍馬の妻、お龍は楢崎龍(ならさきおりょう)は現在、神奈川県横須賀市にある信楽寺に安置されています。 おりょうは、龍馬の死後、土佐の龍馬の実家に預けられるも、家族とそりが合わず、各地を転々。その […]

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おりょうのお墓について

坂本龍馬の妻、お龍は楢崎龍(ならさきおりょう)は現在、神奈川県横須賀市にある信楽寺に安置されています。
おりょうは、龍馬の死後、土佐の龍馬の実家に預けられるも、家族とそりが合わず、各地を転々。その後、呉服商人西村松兵衛と再婚して西村ツルと名乗ります。明治39年(1906)、66歳で他界しました。

筆者が訪れて驚いたのは、墓石が想像以上に大きいこと。龍馬のお墓並に手厚く、埋葬されています。龍馬の死後の晩年はひどい生活だったと記憶していたので、個人的には意外でした。

おりょうの終焉の地、おりょう会館やペリー来航した久里浜海岸のペリー公園などから比較的近い位置にありますので、ぜひそちらのも足を運んでみてください。

おりょうのお墓

龍馬の妻 お龍(おりょう)の墓へのアクセス

住所:神奈川県横須賀市大津町3-29-1 信楽寺
アクセス:京急大津駅より徒歩5分
駐車場:なし

その他画像

おりょうの解説

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