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永福寺【永福寺門前事件(井口村刃傷事件)】

永福寺門

永福寺

坂本龍馬誕生の地から徒歩15分ほど歩くと、閑静な住宅街に龍馬が幼少のころに訪れたといわれている永福寺がある。

前には江ノ口川が流れており、鯉などが泳いでいる。
ここはかつて、土佐史としては重大な事件が起きている場所。

龍馬が登場する作品にも度々登場する、井口村刃傷事件事件の現場だ。

上士と下士の分け目の戦い

文久元年(1861)3月、上士と郷士(下士)が争う事件が起きた。
事のはじまりは永福寺門前を酒に酔った上士の山田広衛と益永繁斉が通りかかり、その際に郷士の中平忠次郎と宇賀喜久馬がすれ違いざまにお互いの肩が触れてしまったこと。
口論との末、上士の山田広衛が郷士の中平忠次郎を斬り捨ててしまった。

これを知った中平の兄の池田虎之進は急ぎ門前に駆けつけ、永福寺前の小川で返り血を洗っていた山田広衛、益永繁斉を仇討ちをした。
だが、郷士は土佐藩では”武士”とは認められていないため、”仇討ち”ではなく、上士への反乱として取り上げられてしまった。

この事件を発端に、山田広衛邸には上士。池田虎之進邸には郷士達が集まり一触即発の状況になった。
郷士の中には坂本龍馬の名も入っている。

このまま事態が悪化すると上士と郷士の全面衝突が避けられない自体となった。老功の者が「池田も仇を討った以上、今さら命を惜しむ理由もないだろう。だからいって、上士のもとへ引き渡すわけにもいかない。ここは潔く腹を切って、武士の名誉を立てるしかない」と主張して、池田虎之進と宇賀喜久馬が切腹することで事態の決着をついた。

だが、藩当局は上士側は謹慎処分、郷士側はお家断絶という差別のはっきりとした裁きを行い、これがきっかけで土佐勤王党が結成される。

この模様が詳しく書かれているのは、
坂本龍馬を主人公にした坂崎紫瀾の伝記小説「汗血千里駒」中でこの場面は描かれている。あくまで小説ではあるが、表舞台から消されて以降、龍馬の存在が世に出た作品であるので、注目はしたい。

原作は国立国会図書館で無料で公開されている↓
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/880806/1

永福寺へのアクセス

住所:高知県高知市井口町105
最寄り駅: 路面電車「上町5丁目」下車後、徒歩約5分
所有時間:5

筆者オススメは自転車。坂本家のお墓に行く途中にあるので、立ち寄るといいだろう。

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