2017/04/30
龍馬が通った北辰一刀流道 桶町千葉道場
桶町千葉道場は坂本龍馬が通った北辰一刀流道場。東京駅と有楽町駅との中間地点に桶町千葉道場跡がある。筆者の記憶の片隅では確か諸説あったはずだが、大河ドラマ「龍馬伝」のタイミングで確定したらしく、いつの間にか碑が立っていた。
ファンでなければ誰もが見逃しているだろう。龍馬伝が終わり、数年がたった現在は誰も足を止める者もおらず、ひっそりと佇んでいる。
桶町千葉道場とは…
北辰一刀流は、千葉周作が創始した道場。
幕末の江戸三大道場といわれ、北辰夢想流と一刀流を合わせた古流武道の流派である。
江戸三大道場とは神道無念流・斎藤弥九郎の「練兵館」、鏡新明智流・桃井春蔵の「士学館」。そして千葉周作の「玄武館」の3つ。「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と評されていた。
千葉道場では、隣接する塾で儒学を学ぶものも少なくはなく、多数の幕末志士たちを排出した。坂本龍馬もその一人である。攘夷論者の巣だったといっても過言ではない。
千葉道場は当時、兄の周作が日本橋品川に開いた「玄武館」(お玉ヶ池)と弟の定吉が町京橋桶町に開いた「桶町」と区別されていた。
別名、大千葉、小千葉とも呼ばれている。龍馬は、土佐藩邸(中央区役所のあたり)から通いやすいという理由で、桶町千葉道場の門を叩いている。
決して『竜馬がゆく』に記載されている「定吉が老衰」だったためではない。
龍馬はここに1835年~1867年まで通い、塾頭を務めるまでなっている。師は千葉定吉、定吉長男の重太郎。また、定吉次女の千葉佐那との恋愛エピソードも数々残っている。
北辰一刀流の免許皆伝!?
龍馬は千葉道場で塾頭を務めるほどの、剣術の達人だったが、免許皆伝だったのかは、長年、証明するものが発見されず、論争が起こっていた。
しかし、2015年10月14日に関連書物が見つかり、免許皆伝の腕前が事実であったことが証明される。
北海道にある坂本家が高知県立坂本龍馬記念館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付の龍馬のおいの妻に書いた預かり書である。
坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀兵法皆伝」と記載されており、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際に消失したと考えられている。
アクセス
最寄り駅:
東京駅八重洲口から徒歩8分
有楽町駅 D9出口から徒歩8分
ぜひ、中央区役所から実際に歩いて欲しい。徒歩5分ぐらいでつくので、
アイツ近いとこ通ってんなー、と感じながら歩くことをおすすめしたい!