2017/04/30
坂本龍馬の誕生日は? 命日と同じ日?
坂本龍馬の誕生日は、天保6年(1836年)11月15日とされており、命日は慶応3年(1867年)11月15日です。
11月15日は、誕生日でもあり、命日でもあるとされています。
現在でも毎年11月15日には、高知の誕生日の地では誕生祭、京都のお墓の前では供養の龍馬祭が行われています。
その際にろうそくに灯が灯されるのですが、実はどちらも同じ火が使われているのです!
午前中に高知、夕方に京都に届きます。
同じ11月15日に生まれ、死を迎えるなんて、ちょっと運命を感じますよね。
さて、ここからはがっかりするお話です。
この説は正しくもあり、間違いでもあります。
また、実は龍馬の誕生日には諸説あるため、正しいとも言い切れません。
1,龍馬の誕生日を新暦に直すと…
11月15日というのはあくまで、旧暦の日付です。
龍馬が誕生日の天保6年11月15日は、1836年1月3日。
亡くった慶応3年11月15日は、1867年12月10日となります。
つまり、今の価値観に直してしまうと日付がずれてしまうのですね。
2、龍馬の誕生日は諸説ある!?
実は坂本龍馬の誕生日には諸説あります。
1、10月15日説
2、11月10日説
3、11月15日説
理由としては、現在のように戸籍を登録する制度がなく、
きちんとした記録が龍馬の出生記録が残っていません。
1,10月15日説
10月15日の記載があるのは、以下の書物です。
『汗血千里駒』(坂崎紫瀾:1883年(明治16年))
『阪本龍馬』(弘松宣枝:1896年(明治29年))
『勤王烈士伝』(萩原正太郎…1906年(明治39年))
2,11月10日説
『維新土佐勤王史』(瑞山会、坂崎紫瀾:大正元年)
3,11月15日説
『坂本龍馬』(千頭清臣:1914年(大正3年))
『千里駒後日譚』1899年(明治32年)11月4、5、7~10日
なぜ、11月15日となっているのでしょうか?
『汗血千里駒』、『維新土佐勤王史』で同じ著者、坂崎紫瀾が関わっています。
しかし、記載されている誕生日は同じではないため1と2の説は信憑性がありません。
『千里駒後日譚』(明治32年11月「土陽新聞」六回にわたり連載)でお龍は次のように語っています。
龍馬の生れた日ですか、天保六年の11月15日で、丁度斬られた月日(慶応3年11月15日)と一緒だと聞ひて居るのですが書物には10月とあります、
どちらが真だか分かりませぬ。
ここで挙げられている「書物」とは『汗血千里駒』か『阪本龍馬』を指すといわれています。
しかし先ほど述べたように、『汗血千里駒』、『維新土佐勤王史』の信憑性が欠けるのであれば、お龍の言う、十一月十五日がもっとも信憑性が高いのです。
また、「十月十五日」、「十一月十日」は文字が脱落した誤記、あるいは誤植の可能性もあるとはいえないでしょうか。
以上のことから私は11月15日であると考えられます。
なにより、同じ日生まれ、同じ日死んでいく・・・
それってステキなことじゃないですか?
コメント
こんにちは、初めてコメントします。
竜馬がゆくなどを読んでいた時は、誕生日と命日が同じ日と書いてあったので、そのまま記憶していましたが、旧暦だと、日付にそれほど差が出てしまうとはびっくりしました。
ありがとうございました!
by えっぴ 2020年11月25日 10:02 PM
実際に誕生祭(誕生日:高知)も龍馬祭(命日:京都)も11月15日に行われてますし、意外と旧暦という認識がない方が多いかもしれません。
by 坂本龍馬.com管理者 2020年12月2日 2:41 PM